天職のこと。
2年ぶりに、沖縄へ戻った。
仕事の都合で、沖縄を離れ、東南アジア某国へ。
いわゆる「駐在」と呼ばれる生活を送り、
現地のスタッフと、毎日戦争のような日々を過ごしてきた。
洪水のようなバイクの群れ。
あちこちから鳴り響く工事音。
肌に纏わりつく生あたたかい風。
国の平均年齢28歳、人口1億人突破間近。
経済発展真っ只中。
毎日、いや、毎時間のように街の表情が変わり、
喧噪と熱気、もっともっと暮らしを良くしたいという
人々の欲望が滲み出す、そんな場所だった。
「石の上にも3年」
とは言わず、少なくとも、5年は。
異国で何かを成し遂げるには、そのくらいの覚悟で
という腹づもりだったが、
ミッションの達成状況、各所との兼ね合いもあり、
丸2年の駐在生活で、日本帰任となった。
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今年で、大台にのることもあり、
「んん、これが人生のターニングポイントというやつか」
「いやいや今まで何度なくこんなシーンあったじゃん」
と、アラフォー特有のわけのわからない自問自答をしつつ、
日本へ戻るのか、このまま異国の地に残るのか
という2択を迫られていた。
ただし、「日本帰任=東京勤務」
という選択肢は、はじめから除外。
新卒から約10年間、
濃い濃い、広告代理店マン時代を過ごした場所もあり、
今もたくさんの知人友人が暮らしているが、
2010年に沖縄に移ると決めて以来、
私自身、東京という街での生活に、
1ミリ足りとも魅力を感じなくなっていた。
もう東京には住めない。
「自分でやってみるか」
と決めたのは、日本帰国の2週間前。
今までも、独立・起業等の妄想をすることがあったが、
あくまでも、‟漠然”、‟なんとなく” レベル止まり。
最終的には、「特にこれといってやりたいことがないな」
なんて思っていたのだが、
一度、自分でやるぞ!と決心すると、面白いもので、
「あれもやりたい、これもやりたい、それも興味がある」
と、沸々と色んな野望が湧き出てくる。
税務署に開業届を提出する際、意気揚々と、
7つの事業ドメイン、それぞれ7枚の申請書類を引っ提げていき、
「あっ、これ納税地全部同じですね、なら、1枚で結構です」
と、冷静にあしらわれる始末。
海外駐在時代にお世話になった方々とも
また別の形でご一緒できればという想いもあり、
最終的には、アジアに近い、ここ沖縄を選んだ。
この規模の地方都市で、
これだけ全国各地の出身者が集っている街はないのではないか、
というのもその理由だ。
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3月末に、東京本社へ帰任し、むかえた最終日。
なんとも粋な計らいをしてもらい、
前職での最後の出張が、東京→沖縄。
事業所立ち上げを経験させてもらった
沖縄オフィスメンバーへの挨拶の機会を経て、
会社員生活、最後の日を終えた。
そして、4月から再び、那覇市市民に。
うん、やっぱり、居心地が良い。
海外駐在時代も、1年に1度は戻ってきていたが、
それでも、やはり、変化はあるもので、
例えば、タクシーの初乗り運賃が値上がりしてるとか
橋がようやく開通してるとか
ネパール人の労働者増えたなとか。
人口1万人に占める飲食店数が全国1位だけあって、
こんな店ができている
あそこ潰れちゃったんだ、は、もちろんのこと。
このあたりの沖縄の変化も、
ちょこちょこと、またここで綴っていきたい。
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ありがたいことに、日本に戻ってから
ポツポツとお声掛けをいただき、
第一弾:大阪→和歌山→長崎→福岡
第二弾:広島→島根→鳥取→岡山→広島
と、2年ぶりの日本を、地方を巡ってきた。
日本の地方都市は、魅力的だ。
新たな発見、今後の ‟種” もできた。
広島では、三原市、尾道市、広島市、呉市の4都市、
岡山では、岡山市、倉敷市の2都市にお世話になった。
海外駐在時代に、訪ねてきてくださった方々への、‟お礼参り”
(ぶん殴りにいったわけではなく)もこれで果たせた。
開業後、数社と業務委託契約を締結。
しばらくは、飢え死しなくてもすみそうだなと感じつつ、
まだまだ手探りながらも、気心の知れた方たちと、
自分の好きなペースで、自分の好きな場所で、
毎日ワクワクしながら動いている。
仕事なのだけど、良くも悪くも、そんな感覚ではなく。
これが、あの、伝説の、幻の「天職」という感覚なのか(笑)。
沖縄は、開業率全国1位。
そして、また廃業率も、日本トップクラス。
はてさて、どうなることやら。
ともあれ、
ただいま、沖縄。