なんやかんやで、沖縄。

沖縄生活6年目。ゆるりと日常を綴っていきます。

お通しのこと。

お通し。

某ニュースサイトで、
『お通し』カットが可能かどうかを、
大手居酒屋チェーン数社に問い合わせてみた、
という記事が流れていた。

「お客様の希望があれば、対応します」
「アルコールを注文しない人に対しては、
   原則としてお通しの提供は行わない」
という、チェーンから、
「お通しカットには対応していません」
「食品アレルギーなどといった
    例外的な場合に限って、対応が可能」
と、答えたお店など、
未回答を含め、各社の対応は様々。

そもそも、“総合居酒屋”、というジャンル自体が、
業態として、もう難しくなってきているのでは?
いう結論で締めくくられていた。

都内では、『お通し』料金として、
べらぼうに高い金額を請求される
所謂、ボッタクリ居酒屋が問題となっているようで、
出張に出た際、タイムリーにも、
「こないだ酷い目にあってさ」
なんて話を、身近で目の当たりにした。
(まだ、客引きについて行く人いるんだね・・・)

沖縄県も、外国人観光客の急増に伴い、
この『お通し』が、
トラブルに発展するケースが増えてきているそう。

お冷は無料で提供。
サービス料金、チップ文化の乏しい日本。
片や、『お通し』文化のない外国の方に、
その必要性を説明する難しさ。
・・・何とも、悩ましいところである。


『お通し』は、関東の名称。
関西は、『突き出し』『先付』と呼ぶ。

厳密には、『突き出し』『先付』は、会席など、
予め、献立の中に組み込まれている料理を指す。

由来・語源は、諸説あるようだが、今や、
“酒の肴として、注文前に提供される軽いアテ”
として共通認識されている。

京都出身の私としては、『先付』とは、そのお店が、
「これからどんなモノを出してくれるのか?」
の実力を測る、序章みたいなもの。
『椀物』『向付』『焼物』と続き、
後半戦の『止め肴』『食事』、最後の『水物』で、
試合を終えるまでの先頭バッター的な存在。
『先付』が出てきた瞬間、
「さぁ、これから試合が始まるぞー!」
と、ワクワクするものであった。

その文化で育ったせいもあってか、
何も注文せずとも提供される、
『お通し』についても、
そのお店の技量がわかる一品として捉え、
「さて、どんなものが出てるのか?」
と、どこに行っても何気に楽しみにしている。

予想を超える美味い『お通し』が出てくると、
それだけで、「おぉ、今日は良い日だ」と、
テンションがアップし、
ついつい、あれも食いたいこれも食いたい
と、注文量が過剰になってしまいがちになる。
 

『お通し』は、席料としての側面もある一方、
お店側としては、お酒が出やすく、
売上にも貢献する、という効果があり、
そう簡単に、
「カットオッケーです!」と言えない状況にある。
そのため、
「頼んでないのに、勝手に出して、金取るって何?」
と、お客と揉めた、怒られたなんて話を、
ここ最近、よく耳にする。

それも外国観光客ではなく、我ら、日本人から。
若者だけではなく、老若男女問わず、だそう。
これも時代の流れなのか。
何とも、世知辛い世の中である。

直ぐに酒は出せるが、
料理が出るには、多少時間が掛かかる。
酒だけあっても、、、、、ね。
オーダーが提供されるまでのしばしの間、
ちょいと摘む、“肴” として、
「おぉ、こう来たか(こんなもんが出てきたか)」
と、楽しむことは出来ないんだろうか。
そんな話を聞くたびに、ひとり、そう思ってしまう。

「お通し文化、万歳!」
と、言うつもりはないが、
『お通し』がない店、カットできる店を探す手間。
「お通し、お断りできますか」店側と交渉する労力。
私が、ただオッサン化しただけなのか、
その時間が勿体無い。
自ら、行くお店の選択肢も狭めてしまう。

もちろん、
「これは、人間が食べても良いものですか?」
と、即座に質問したくなる
『お通し』に遭遇することもある。
その時は、その時で、そこに入ってしまった、
自分の目利きのなさを反省し、
「しっつれい、しましたー!」
と、そそくさと退散すれば良いだけの話。

酒と肴。
切っても切れない、一対なもの。
『お通し』に金を払いたくないほどの心意気なら、
外で酒を飲むなよ、と言いたい。
 

『お通し』議論は尽きない。

「さっさと、『お通し』止めませんか?」
と、ものすごい笑顔で、飛び込みセールスがあり、
「むしろ、値引きしませんか?」
「そして、クーポン出しませんか?」
「でもって、◯◯(グルメ本)に広告出しません?」
と、立て続けに安売り提案してくる糞営業に、
度肝を抜かれたよ

というオーナーさんの話は、また次回。

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