なんやかんやで、沖縄。

2年の海外駐在を経て帰沖。沖縄生活8年目。ゆるりと日常を綴っていきます。

熱量のこと。

「最近、更新サボってるだろ?」

年明けと共に、再び、来客ラッシュ。

口うるさい、某編集者もやってきた。
夏以来だ。
更にパワーアップしている。

「書いて吐き出してみれば?」
という一言で、
私に、綴ることを再スタートさせた、張本人。

今回は、取材ではなく、所謂、ロケハンらしい。

というか、
実は、私が怠けていないかの調査、
もしくは、私に説教をしにきたのではないか
と、勘ぐっている。


こっそり、沖縄に住んでいるのではないか?
どこで聞いたの、それ?
どうやって調べたの、それ?
というほど、
自身が担当する分野の “情報” をよく知っている。

思い返してみれば、この方から、
一度たりとも、軽々しく、
「◯◯を紹介して」
「オススメ教えて」
なんて、言われた記憶がない。

実際に自分の足で行ってみる、
自分の目で見てみる、
自分の舌で味わってみる、
自分の声を発して話してみる、
自分の身体で体感してみる、
を、徹底している人。
今回も、リュックひとつで、編集長自らやってきた。


「有益な情報は、タダではない。買う時代」
が、口癖。

それを体現するように、
彼が手掛ける出版物は、
割と強気の価格設定で書店に並ぶ。

「売れなくてクビになりそう」
素面なのか、酔いが回っているのか、
その判別がつかない程度の塩梅で、そう、言う。

取材対象は、
①好きか嫌いか
②コンセプト(カラー・トーン)に合うかどうか
で、決定するらしい。

ロケハン時は、一般の客として行き、
自分自身で体感し、
その取材(候補)対象が、好きか嫌いか、
言い換えると、
「この存在を知ってほしい」
と、自分が思えるかどうか、
熱を持って書けるかどうかで、判断する。

そして、
「ここ、好きだ」「読者に届けたい」
と、思えたとしても、
あくまでも客として、彼らと話をしてみて、
そこで働く人たちの想いや拘りが、
媒体の思い描いているコンセプトと異なると感じれば、
取材のオファーは一切しないそう。

「外観や雰囲気、メニューだけで見えるのは一部」
「そこにいる人たちがそれらを作っているから」
「大事なのは、彼ら自身」
「直接、話してみなきゃ、俺はわかんない」
器用なのか不器用なのか、
そう、笑って、話す。

もちろん、飛び込みではなく、
ある程度の熱を持った上で、足を運んでいる場所。
数だけ集めるようとするなら、
掲載しても何の問題もないはず。

しかし、それをやってしまうと、
「読者を裏切ることになる」と。

結果として、
「集客に寄与するどころか、イメージを落とす」
「それは、媒体側も、取材対象であるお店側も」
「自分が好きな相手に、そんなこと出来ないだろ?」


彼が世に放つ媒体には、

絶対に外さない店
失敗しないお店選び
オススメ
お得

なんて、浮き足だった言葉は、決して、踊らない。

常に、その奥に、“ヒト” を捉えている。

メディアが、“ヒト” を “ヒトを繋ぐ
って、こういうことだろうな、と。
どんなジャンルだろうと。


「有益な情報は、タダではない。買う時代」
数多くのメディアが乱立する中で、何を取捨選択し、
どこから情報をとっていくのかは、個人の自由。

ただ、発信する側の上っ面ではない、
本気の “熱量” を感じられる、そんな媒体が、
ここ沖縄でも、増えていけば良いな、と思う。

安売り営業しか出来ない、
糞みたいな “ブツ” はもう不要だ。

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なるくるないさーのこと。

現在25℃。
年始とは思えない蒸し暑さにウンザリしながら、
沖縄に戻るや否や、新年挨拶回りに追われている。

沖縄に来て6回目の年始を迎えているが、
この時期、特に感じるのは、
驚くほど、“アポ無し” 訪問が多いということ。

会議中であろうが、来客対応中であろうが、
『突撃!隣の晩ごはん』もビックリの頻度で、
「○○さん、いらっしゃってますけど・・・」
との呼び出しを受ける。

わざわざ、お越しいただくのは、
非常にありがたいのだが、こちらとしても、
対応がおざなりになってしまうので、
「事前にアポとってくれ・・・」とつくづく思う。

そして、もう一つ困るのが、
アポをいただいたのは良いが、
予定の何十分も前に来られるケース。

車社会沖縄。
道路事情が読めないこともあり、
余裕を持って出発したところ、
予定外に早めに着いてしまった
なんてことは当然のように発生する。
が、しかし、
「早く着いちゃったんで ♪」
と、どんなにハニカミ笑顔で言われても、
「あぁ、そうですか・・・」
としか返しようがない。

なぜ「5分前までどこかで待機をしておく」
という選択肢を持てないのか、
毎度、疑問に感じざるを得ない。

これらに、共通して言えるのは、
この時間に行ったら・・・
この時期にお邪魔したら・・・
バタバタされているだろうから・・・
ご迷惑かもしれない・・・
など、
『相手側の立場や状況を想像する力の欠如』
ではないかと。


昨晩、新年会社祈祷を終え、
お世話になっている数名の方々と、
とあるお店にお邪魔した。

特に予約などを入れていなかったこともあり、
伺う前に事前に一報を入れ、
快く迎えていただいた。

普段、満席になることも多く、
仕事始めの企業が大半を占めていた日に、
当日でよく入れたなーと思っていたところ、
オーナーの方から出たセリフは、
「急遽、10名様のキャンセルが出てしまい・・・」

聞いてみると、沖縄県内某有名企業御一行様。

やれやれ、ここにもいましたか、
想像力が欠如している人たち。

御里が知れる、いうか、
その会社のレベルが窺い知れる。
きっと仕事でもそうなんでしょう。

この手の話、沖縄で6年も生活をしていると、
ちょこちょこ聞くもの。
私自身、幹事をして、何度か痛い目にもあった。

時間変更、人数変更の連絡をしないどころか、
平気で当日キャンセル、
酷いものになると、連絡も無しで欠席、
いわゆる、ドタキャンということが起こる。

私の場合、信頼するお店に、
予算設定を伝えた上で、料理などは、
すべてオススメのお任せでお願いする
パターンが多いので、
アンタのドタキャン分の食材費、
こっちが全部払ってんですよ、という事態に。

沖縄移住当初は、
「まさかそんなことある?」と、
度肝を抜かれていたが、さすがに慣れてきて、
今では、1週間前・3日前・前日・当日と、
1回の飲み会で、最低4回は、
参加者の出欠確認を行うのが癖になった。

どこまで伝わっているかは不明だが、
変更があった際には、最低限のマナーとして、
なるべく早く “必ず” 連絡をしろ、と、
徹底的に社員にも叩き込んできた。

行けたら行く or 遅れていく=欠席
と判断し、人数にはカウントしない。
それでも、事前予約の人数達成率100%!
とは、なかなかならないのである。

もちろん、予期せぬ事故や不幸など、
やむを得ない事態は誰しもに起こり得ること。
しかしながら、スタート時間ギリギリ、
または過ぎてから、
「体調不良です」なんて連絡が来た際には、
いやいや、アンタ社会人でしょ、
約束したならその日に向けて、
万全に体調を整えておきましょうよ、
と、怒りを覚えてしまう。

さらに、後日、“後出し” ジャンケンで、
「39度熱が出て、寝込んでました。テヘペロ」
なんて言われた日にゃ、最悪である。
知らんがな、
それでも、事前に連絡くらいせぇーよ、と。


ケンミンショー等で、
「沖縄の飲み会は、集合時間に出発する」
「時間にルーズ」
「人数も曖昧。誰が来るかは当日のお楽しみ」
なんて、
沖縄あるあるのお笑いネタにされているが、
全くもって、笑い事じゃない、と思う。
(もちろん、これが沖縄県民全員ではない)。

“お待たせする”、ということで、参加者の
貴重な時間を奪ってしまっているという罪と
予定通りにいけば、2回転出来た座席を占拠し、
お店側にもロスをさせてしまっている大罪を
背負っているのである。

そして、さらに御立腹になるのが、
自分たちのことを言われているのに、
「わかるw」
「確かにあるよねw」
「俺、これだわw」
「安定の1時間遅れてスタートすw」
と、いうリアクションをとる方々。
罪の意識がない人間に限って、そう。

ほんと、馬鹿じゃないのかと。
良いイメージならまだしも、
笑われてるんですよ、アナタ方。
大人として恥ずかしいことだと思っていただきたい。

声を大にして言いたい。
なんくるならない、ですよと。

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見分け方のこと。

バンコクステイ終了。
乾季のタイは、過ごしやすくて、素晴らしい。
予定していたタスクも完了し、
充実した滞在となった。

これから香港へ向かうため、
再び、スワンナプーム空港着。

さすが、観光立国タイランド
空港も24時間営業。
この時間でも、アジアだけでなく、
世界各国からのビジターで溢れかえっている。

どの国に行っても、だいたい顔の “雰囲気” で、
「あっ、たぶん、日本人」
と、判別できるが、当然、
分かりにくい “顔立ち” の方も存在する。
特に『人種のるつぼ』的な国に行けば行くほど、
その見分け方は、段々困難に。

かくいう私も、アジア諸国だと、
現地の方に間違われ(阿呆面だから?)
声を掛けられることがある。

時には、ソウルの地下鉄で、
韓国人のおばちゃんに乗り方を尋ねられたり、
時には、台北で、観光の欧米人に、
小籠包屋の店員と勘違いされたり、
時には、フィリピンで、
時には、インドネシアで、
時には、マレーシアで、
時には、バンコクで、
・・・と、
過去数え切れないほど。

今回の往路、香港国際空港でも、
飛行機のトランスファーで狼狽していた、
日本人青年に話し掛けられた。
しかも、同じ日本人から、
身振り手振り付きの拙い英語で。
「あっ、日本語で大丈夫です。」

ほぼ毎月、ダイビングのために
南国渡航していた東京時代は、
余りに色が黒過ぎて、帰国の際、
成田空港イミグレで、
「No! No! Foreigner!」
と、外国人パスポートGATEに
案内されたこともある。

私の同期で、グアムのダイビングボート上、
日本人観光客に、チャモロ人と間違えられ、
「How many dolphins can I see?」
と、その日、観られるイルカの頭数を聞かれ、
「あっ、日本人ですけど・・・」
「えっ?あっ、すみません!
   こちらに住まれてどのくらいですか?」
「あっ、僕も観光なんですけど・・・
   ご期待に添えずで・・・昨日来ました」
と、不毛なカンバセーションを
繰り広げた輩もいるので、世の中、
ほんと、何が起こるかわからないものである。


個人的に、
「あっ、たぶん、日本人」
と、見極めるポイントがいくつかある。

例えば、空港で、
「あれ?もしかして、お引っ越しですか?」
というほど、
無駄にデカいスーツケースを引きずっている。
単独では行動出来ず、
固まって、集団チェックイン。
そのため、チェックインカウンターでの
所要時間が、異常に長い。
ジェスチャーだけで、グランドスタッフに
何かを訴えようとしているが、
上手く伝わらず、更に時間が掛かる。
などなど。

イミグレが、長蛇の列の際は、
並んでいる人たちを眺めながら、一人づつ、
あの人は、中国人
あの人は、韓国人
あの人は、タイ人
あの人は、アメリカ人
あの人は、フランス人
と、勝手に予想していき、
彼らが手に持っているパスポートを見て、
答え合わせをする遊びを密かに楽しんでいる。

ちなみに、パスポートに
『謎の透明ビニールカバー』をしているのも、
ほぼほぼ日本人である。
(イミグレで余計な時間掛かるから付けないで)。


私が “典型的な日本人だな” と思う格好がある。
それは、嫌悪感という意味で。

上下『白』のハーフパンツとTシャツ(キレイ目の)
Tシャツの首から、サングラス
長袖のYシャツを肩からプロデューサー巻き
焦茶色の革サンダル
下品な腕時計

そして、
ブランドもの小さなショルダーバッグ。
決まって、GUCC○ か LOUIS VUITTO○
を引っ提げている。

「あっ、たぶん、日本人」

ダイビングを中心に、
アジア諸国からミクロネシアなどに飛んだ際、
この手の方を目撃すると、
「TPOに合わせて格好と持ち物選べや」
と、ついつい思ってしまう。

ブランド品が良いとか悪いとか、
そういうことではなく、
「それ、ここで必要?」
「何しに来たの?」と。

だいたい、この手の方は集団で、
たむろっていらっしゃる。
そして、GUCC○ や LOUIS VUITTO○
のバッグを振り回しながら、
「ボラれた!ボラれた!」
と、デカい声、しかも日本語で、
叫んでいらっしゃる。
日本人が馬鹿だと思われるから、
ほんとやめていただきたい。
(いや、馬鹿だからボラれたんでしょう、きっと)

その土地に合った、“ドレスコード” を意識する。
それも大切だなと、
イミグレで並ぶ各国の人々を眺めつつ、
ひとり、そう思うのであった。

ここ、灼熱のThailandにて。

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カオスのこと。

無事に年が明けた。

タイで年越しは、シミラン諸島のボート上で
新年を迎えた、2009年以来。

お節・お年玉・鏡餅・門松的な、
“お正月感” は、全くないが、すれ違う人、
ホテルや飲食店のスタッフの皆さんから、
「Happy new year!」
と、笑顔で声が飛んでくるのが、心地良い。

ここのところ、台北、極寒のソウルでの
年始が続いていたので、半袖短パンで、
この時期を過ごせるのは嬉しい限りである。


「カウントダウンでもしますか」

大晦日は、前入りしていたメンバー、
バンコク駐在の同期等と合流。

THAILAND COUNTDOWN 2016 at Wat Arun』
BANGKOK COUNTDOWN 2016 at Central World』

大型カウントダウンイベントが数多くある中、
チャオプラヤー川を臨んだ某所をチョイス。
シンハービール片手に、のんびりと、
ニューイヤー花火を拝んだ。

みな、歳をとったもので、
“人混みは 避けて通ろう 四十路前”
が、合言葉。

必然的に、激混みとなる、
ワットアルン・セントラルワールド、
という選択肢は、真っ先に消え、
2016年は、静かな幕開けとなった。


今回の訪タイ。
幾つか目的がある中で、
懐かしの面子たちとも再会することが出来た。

最近、マンUスタジアム近くに
引っ越したらしい、イギリス人。
タイ語を勉強中のフランス人。
そして、偏食が激しいイタリア人。

いやはや、こぞって、癖が強い。

家庭の “食育” ?のお陰か、
(当時は、この言葉あまり聞かなかった気が)
私は、ほとんど好き嫌いが無い。

箸の持ち方・使い方から、旬の意味、
食べる順番、様々な食体験、粗末にしない、
懐石での嗜みなど、厳しく躾けられた。
「魚の食べ方を見れば育ちがわかる」
が口癖の家庭。

胃腸も割と丈夫なようで、
屋台で食おうが、出店で買い食いしようが、
30うん年間、海外で当たったことは皆無。

「米と味噌汁がないと気が狂って死んでしまう!」
ほどでもないので、ありがたいことに、
どこに行っても、食事で困ることがほぼない。

郷に入れば郷に従え。
たまに和食が恋しくなる時もあるが、
国内外、外に出た際は、折角なので、
極力、現地のものを口にするようにしている。


「Ciao!肉は、チキンオンリーなのさ」
という輩もおり、今回は、毎日のように、
カオマンガイを食っている。

そろそろフランス人がキレ出しそうなので、
元旦の夜は、チャオプラヤー川沿いに建つ、
地上247m、世界一高い場所にある
オープンエアーレストラン&バー
『SIROCCO』にやってきた。

『SIROCCO』とは、イタリア語で、
初夏に地中海の上を吹き抜ける季節風のこと。
その名の通り、乾季の風が気持ち良く、快適。

・・・この席を除いては。

景色そっちのけで、ひたすら、
サッカー話をしている者。
マンU「放り込み戦術」の話は、あとにして!)

調子に乗って、タイ語で注文にトライするも、
全く違う、ひと皿が届いて、みなに責められる者。
(ここ、高けぇーんだから!)

食えるものが少ないと嘆く者。
(あんたの母国料理にしたのに!)

そして、
「気持ちも新たに。穏やかに」
と、数時間前に誓ったのに、
貴様ら自由過ぎる!と怒り狂い、反省する者。
(年は明けても、人間そうそう簡単に変わらない)

新年早々、まさに、カオスである。

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トラブラーのこと。

大晦日。
早いもので、2015年も、もう終わり。

歳を重ねると、月日が経つのを早く感じる
とは、本当のことで、
「そりゃ、足腰も弱くなるわ」と痛感。

教師でも坊さんでも師匠でもないのだが、
12月はまさに “師走” の1ヶ月。
台北・東京・福岡・石垣島から宮古島と、
必殺の当日帰りもあり、疲れを取りに行ってるのか、
ために行ってるのかよくわからない感じで過ぎ去った。
会社納会、各所での忘年会を28日に終え、
翌日から3ヶ月ぶりに香港、
そして、バンコクに入っている。

言い訳をつらつらと並べてみたのだが、
ということで、12月はほぼ、更新が出来ず。
有言実行になっていない自分に呆れながら、
持参したPCを漸く、開き始めた。

ネタだけは、年内に整理しておこうかと。

日々、思ったことや感じたこと、
自分の中で、何か引っかかったことを、
普段からマメに記録に残すようにしている。
あとで調べようと思ったこと、
目を通そうと思ったものも含めて。

記憶力は悪い方ではないのだが、
我ながらオッサンになったもので、
「あれ、何だったっけ?」
という残念なシーンが増加。

「思い出せなくなるのが悔しい」
「悶々として気持ち悪い」よりも、
それを思い出すために費やす時間が勿体無いので、
ログを残すことが習慣化した。


ありがたいことに、毎日色んな出来事が巻き起こる。
私が、よほど、阿呆面で歩いているのか、
どこに行こうが、話し掛けられること
=ネタが降ってくることが多く、
定期的なログの整理が必要。
これらを放っておくと、1週間で結構な量になる。

バンコクに移動した29日だけでも、
手荷物検査場通過後、
パスポートを置き忘れたフランス人2人組、
香港国際空港からトランスファーに失敗し、
飛行機に乗り遅れた日本人青年、
バンコクARL(エアポートレイルリンク)の
ドアに挟まり、家族と離散した中国人御一家
など、“トラベラー” ならぬ、
各国の“トラブラー” の方々に遭遇。

ところ変われど、今も変わらず。
新宿駅南口を通るたびに、
「お時間ありますか?3分間拝ませてください」
と、かなりの頻度で声を掛けられていた私としては、
誰に何を話し掛けられようが、もはや、朝飯前。
僭越ながら、今回も、そんな “トラブラー”
の皆さんの貴重な人生の1ページに、
飛び入り参加させていただいた。
ほんと、日々、ネタだらけである。
(皆さん、その後は、ご無事でした)。


振り返ってみると、ここ10数年間で、
日本で年越ししたのは、沖縄移住した2010年だけ。
年越し蕎麦は、日本蕎麦でなく、沖縄そばが主流。
気温のせいもあってか、沖縄の正月は、いわゆる、
『内地(本土)』の正月とは、“味わい” が異なる。
そういう意味では、とんと、
『お正月を写そう♪ フジカラーで写そう♪』(古っ)
的な、“お正月感” からは縁遠くなってしまった。

2016年は、明日、ここ、バンコクで迎える。
はてさて、来年はどんな1年になるのやら。

皆さま、良いお年を。
今年も1年、ありがとうございました。

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転校のこと。

今年の冬は暑い。
那覇は、21日から3日連続、25°C以上の夏日。
12月下旬としては1991年以来、24年ぶりらしい。

2015年もあと僅か。
気温のせいか例年よりも、年末感が薄い中、
この季節になると、様々な方面の方から、
退職の挨拶・報告をいただく場面が増える。

区切りよく、新年から新しいスタートを切りたい!
という時期なのであろう、
感覚的には、4月・10月に続いての多さ。

前向きなネクストステップに進まれることは、
素晴らしいなと思いつつも、
某アイドルグループの影響なのか、
その乱用具合に、いつも違和感を覚える言葉がある。

“卒業” である。


ウィキペディア教授によると、
------------
卒業は、学校の規定の全課程を修了すること。
------------

社会に出た以上、3年で卒業、4年で卒業、
なんて明確なルールがある訳でもなく、
誰かがそれを決めてくれるはずもないので、
当然、人生の区切りは、
自分自身で決めていかなければならない。

もちろん、個人の捉え方次第ではあるが、
極論を言えば、私は、
全課程が修了する=自分が死ぬ時だと思っている。

人間国宝とまで言われてる職人さんでさえ、
「未だ納得のいく作品は作れていません」
と、おっしゃるほど、
死ぬまで、常に学び・学び・学びの繰り返し。
社会人として『全課程の修了』への道のりは、
それほど果てしないものなのではないかと。


そんな中、義務教育さえ終えていない輩から、

「この度、◯年間お世話になった◯◯を
   “卒業” させていただくことになりました」

と、送りつけられてくると、

いやいや、アナタ、全課程修了してましたっけ?
そもそも、義務教育さえ、終えてないんじゃ?
“卒業” どころか、赤点ですよ。

と、即レスしたい気持ちになる。

追試さえパスできない輩に限って、
「残った有給、全部買い取りしてほしい」
なんて、大黒屋もビックリの爆弾を投下してくる。
「思わず、自分の耳を疑ったよ」
という、経営者の方の話もよく伺う。


長ければ良いとか、短かければ悪いとか、
一生同じ場所で勤め上げるべきとか、
そういうことではなく、
“卒業” という言葉を使って良い人間は、
みなと苦楽を共にしながら、
時に馬車馬になって、そのミッションを果たし、
しっかりと、卒論(自分の功績)を提出。
卒業後、明確な研究テーマを持って
上級学校へ進学し、そこでも同じように
学び続けられる方だけなのではないかと。

そんな風に、“卒業” されていく方は、
最後まで、その場所で自分が何を残せるか、
残された期間で何ができるか?
を、考えられていて、責任を持ってやり遂げられる。

その存在は、稀有であり、ところ変われど、
またいつか仕事でご一緒したい、
と、心から願う方ばかり。

私を含め、何も成し遂げていない、
例えるなら、義務教育期間の学生の身分で、
“卒業” なんて、軽々しく使ってはいけない。
おこがましい。
ほんとに、“卒業” される方に失礼。
その二文字が目に入ってくるたびに、
そう、強く感じるのである。


学生諸君、勘違いするでない。
“卒業” と “逃亡” とは違うのです。

“退学”(落第で)
“転校”(落第で)

と、書きなさい。
アナタ、単に『逃げた』だけですよ。

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バルスのこと。

那覇着。

明日開催の『那覇マラソン』の影響で、
「早い便は混んでいるだろう」との予想の元、
最終便にしたものの、こちらもフルフライト。

小粋な機長から、
那覇マラソンに出場される方、ご健闘を」
的な機内アナウンスも流れる中、
確実に気のせいなのだが、
老若男女・乗客すべてが、ジョガーに見えてしまい、

(あの人は、完走できる)
(あの人は、ハーフまで行けない)
(あの人は、着ぐるみ系で目立ちたいだけ)
(あの人は、美ジョガーだと自負してそう)
(あの人は、ゴールしたらプロポーズを目論んでる)

あれやこれやと勝手に予想。
いつの間にか、寝落ちしてしまった。

CAさんに叩き起こされ、起床。
東京&大阪からインした
那覇マラソンホテル難民”
の悪友たちと合流し、自宅に受け入れ。
今晩は、大人しく、床に就こうかと思いつつ、
機内熟睡の結果、今になって、
らんらんと目が冴えてきた。


『太陽と海とジョガーの祭典 NAHAマラソン』

ジョガーでも、ランナーでもないが、
実は、私も過去に一度だけ出場したことがある。

東京から沖縄へ渡った、6年前。
若手後輩たちからの、
「みんなで出ましょうよ!」のノリに、
まんまと乗せられ、人生初のフルマラソン

当時は、抽選ではなく、
期間内にエントリーすれば、
先着順で、ほぼ漏れなく走ることができた。

「まだ若いから問題ない」
と、大会前、たった一度だけの練習。
15キロを走っただけで、いざ本番へ。

格好だけは、まるで、ベテランランナー。
マラソン日和。意気揚々と会場入り。

那覇マラソン名物!?
沿道からの各種差し入れを味わいつつ、
YMCAコーナーを駆け抜け、
中間地点の平和祈念公園まで快走。


(おっ、このままフルマラソン完走か)


人生そんなに甘くない。

ハーフでひと休み。
座り込んだら、もう立ち上がれず。
「これ、どなたの足ですか?」
というほど、パンパン、感覚なし。
足が棒になる、とはこのこと状態に。

(さて、これから、どうするかな)

思い悩んでいたところ、

「棄権するなら、平和でバスす」
「止めるなら、平和でバスす」
「ヤバイと思ったら、平和でバスす」
「身の危険を感じたら、平和でバスす」
「ゴールまで乗せてくれるのは、平和のバスす」

後輩たちから、授かった呪文
バルス” ならぬ、平和の “バスす” を思い出し、
バス乗り場を捜索。

バルス” の語源はトルコ語の “バルシュ”
(ではないかと言われている)。
トルコ語 “バルシュ” の意味は『平和』。
那覇マラソンの中間地点は『平和』祈念公園。

(完全一致!?宮崎先生、ありがとう!)

無事、『平和』祈念公園発の
リタイヤバスを発見し、その先頭に整列。
誰よりも早く、ゴール地点の
奥武山陸上競技場に戻ることが出来た。


(やっぱ、ノリで出ちゃダメ)

それから暫くは、横にしか歩くことが出来ず、
カニのような生活を送る羽目に。

甲殻類を卒業し、ヒトとして、
前後歩行が行えるようになったのは、
那覇マラソンを終えた1週間後であった。


明日は、奇しくも、雨予報。
気温は、26度まで上がる見込み。
フルマラソンのコンディションとしては、
最低な部類に入るであろう。

ジョガーの皆さん、最後の呪文は、
『平和』(中間地点)で、“バスす” 。

無理は禁物。お忘れなく。

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サタンのこと。

久々の更新。

「大丈夫?生きてる?」
何人かからご連絡をいただいた。
えぇ、ちゃんと生きてます。

師走とは思えない蒸し暑さの沖縄を後にし、
再び、東京入り。
激しい気温差。体調管理が大変。

滑り込みで、那覇空港に到着すると、
またもや、修学旅行生と同じ便。

(ふぅー、同乗率高いな)
先行で搭乗する学生さんたちを眺めながら、
そんなことを思っていると、背後から、
「◯◯◯!←私の名前」と、叫ぶ声。

(誰じゃい、空港で大声を出す奴は)
振り返ると、そこには、見覚えのある顔が。

「あっ、Mr.サタンだ」

説明しよう。
Mr.サタンとは、大学時代の同期。

同じ教職課程を選択し、厳しい授業に出席、
介護実習などを経て、
教職免許取得までの苦楽を共にした男である。

(そういや、こいつ、教師になったんだ)

卒業後、私は教職の道には進まなかったが、
Mr.サタンは、某大手商社に数年間勤務後、
やはり教師になりたい、ということで、
採用試験をパス。
今や、一端の高校教師になっている。

大学3年次、介護実習先として、
同じ老人施設に配属され、
そのホームの大御所・源蔵(げんぞう)さん
という、爺さんから、
「お前は、Mr.サタンだ」
と、何の脈略もなく、名付けられた彼。
それ以来、仲間うちでは、ずっと、
“Mr.サタン” と呼ばれている。

鳥山明先生が描く、
Mr.サタンとは似ても似つかない容姿。
登場人物で表現するなら、むしろ、トランクス。
教育実習先の女子生徒達から告白される、
サラサラヘアーを風に靡かせた
爽やかボーイであった。

そう、当時は。

「老けたな(笑)」

10数年ぶりの再会に、互いに爆笑しながら、
生徒たちの目の前で、オッサン同士の熱い抱擁。

何やら、修学旅行の引率で、沖縄に来ていたらしい。

Mr.サタン
「Mr.サタンって、久々に聞いたわ」
「今や、生徒からは、ピカチュウやで(笑)」

(時が経つって、残酷)
サタンの後頭部を拝みつつ、搭乗。
離陸後、いつものごとく、
カタカタとキーボードを叩き出す。

そして、背後から、またあの声が。

Mr.サタン
「まいど、まいど」

(機内で書類作ろうと思ったのに・・・)
機内が空いていたこともあり、
座席変更をしてもらったらしく、
Mr.サタンが、隣の席に。
(お前、ちゃんと、1,000円払ったのか)

「生徒たち、放置プレイで大丈夫なん?」

Mr.サタン
「余裕余裕、うち、進学校やから(笑)」

「それ、関係ないやん」

互いに久しぶりに使うであろう
関西弁を駆使しつつ、
昔話から、今何やってるのか話で、
ひとしきり盛り上がった。


そして、降下前に流れる、機内アナウンス。

「◯◯高校の皆さん、
本日のご搭乗ありがとうございます。
沖縄での修学旅行はいかがだったでしょうか。
一生に一度の修学旅行に日本航空の翼を
お選びいただき、誠にありがとうございます。
この旅が皆さんにとって素敵なものとなりますことを、
乗務員一同、心よりお祈り申し上げております。
旅は人生を豊かにする。
これからも、たくさんの素晴らしい旅を。
お気をつけておかえりください」


「へぇー、気の利いたこと言うね」

Mr.サタン
「あれ?お前、知らんの?」
「知ってて、乗ってるやと思った」
「今日の機長、K先輩やん。声でわからん?」

おっ、まさかのK先輩。

「えー、Kさん!たまたま?」

Mr.サタン
「ダメモトで、JALにお願いしてん」
「自慢したいやん、生徒に。先輩が機長やって(笑)」

今日は、色々と遭遇率高いな。

Mr.サタン
「Kさんも、若干、ピカチュウやで」
「帽子被って誤魔化しとるけどな(笑)」

なんて日だ!

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外のこと。

自分の掌の上で転がしたい。
しかし、その掌は、薄い上に、小さい。
だから、囲う。
逃げられたら、怖いから。
そして、外に出させない。

たまに、こんな糞経営者の方と遭遇する。
口癖は、「うちはうち、外は外」。


その点、私は恵まれている。
「社内だけに籠らずに、どんどん外に出て、人と逢え」
たくさんの先輩方に、言われた言葉。

特に、『上に立つ人間は、外に出るべき』
だと思っている。

社外だけが大事で、社内はどうでも良い
と、いうことではなく、そのバランスが大切。

社内 “だけ”、内輪 “だけ” で固まっていて、
全く出ようとしない人間は、
その地位をすぐに降りるべき。

社内 “だけ”、内輪 “だけ” で固まると、
社内の噂話か、会社の不平不満を言って、
くだを巻いて帰るのが、関の山。

若い現場社員なら、それは、大切な『ガス抜き場』。
サラリーマンたるもの、どこの会社でも見かける図。20代の私もそうであった。

しかし、三十路を越えて、
自身の配下にメンバーを抱える人間が、
何のインプットもなしに、社内に引籠る
なんて、甚だみっともない、と、今は思う。

実体験に基づいていない、
どこかで読んだ上っ面の知識で、
部下に、HOW TO を語っても、
誰も刺さらないし、誰も聞かない。

“人脈作り”と言う、薄っぺらい言葉ではなく、
色んな業界の色んな方たちと逢って、
様々なものをインプットし、
それを如何に取捨選択、咀嚼、アレンジし、
自身に、自社に、アウトプットできるかが、
上の人間の技量が問われる部分ではないかと。


そして、外に出ることは、
自分自身への戒めともなる。

上に立てば立つほど、『自分の回答=正解』
という構図にどうしてもなってしまいがち。

100のうちの10しか言っていないと思っていても、
自身で、最高にフランクに接していると思っても、
そう簡単には、
“フラットに、誰もが何も恐れず、挑んでくる環境!” 
には、ならないもの。

もちろん、そうなるための努力はずっと必要。
だが、これで完成系というゴールは、
きっとないのだと思う。

自身を覆すほどの、勢いと信念と考え方を
持っている人物に出逢うことは、
ある意味、奇跡に近いこと。

「社員全員が前向きで、最高に風通しが良い」
なんて、自慢している経営者を見ると、
「ちゃんと、冷静に見てみなさい、裸の王様」
と、電報でも送って、お伝えしてあげたくなる。

「自分の考え方がすべて正解だ」
と、誤認してしまわないよう、勘違いしないよう、
外へ出る必要がある。
年齢も含め、企業規模、経験、考え方など、
世の中には、自身よりも、もっと面白い人、
もっとできる人なんて、ごまんといる。

その緊張感、「やべー、もっとやれねば」
という、感覚を常に持ち続けていたい。

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寝言のこと。

適正価格。

私が社会人になって、
初めて担当させていただいたのは、
某業界の圧倒的なリーディングカンパニー。

当時、私が、所属していた企業の中でも、
一二を争う超重要クライアント。
営業を含め、数多くの先輩方が、
不夜城状態で、馬車馬のように、
対応していた大切なお得意先であった。

――――――――――――
価値があるものには、
お客様は、お金を払ってくださる。

どれだけ、デフレで、競合が値下げしようが、
世の中全体が、その風潮になろうが、
決してそれに同調した、安易な安売りだけはしない。

お客様は、飽きやすい。
今、売れている商品も、すぐに陳腐化する。
現状に満足することなく、
徹底的に、お客様にとって、価値あるものを追求し、
常に、提供し続けることが、大切である。
――――――――――――

という強い信念がある企業。

年齢が、なんとなくバレてしまうが、
社会人10年選手をとっくに過ぎた今でも、
強烈に、上記のフレーズを覚えている。


先日、年末の社内イベントに向け、
某オーナーさんと、その方のお店で、
営業時間前に、打ち合わせを行っていた。

そこに、飛び込んできたのは、
ひとりのサラリーマン。

どうやら、グルメ雑誌掲載に向けて、
これからオーナーさんと商談らしい。


「悪い、まだ時間大丈夫?ちょっと待ってて」

私に断りを入れた後、オーナーさんは、
彼とのミーティングに突入。

その空気を読んだかのように、
ほぼ同じタイミングで、
カバンにしまいこんだ、ケータイが鳴り出す。

電話に出ようと思った矢先、
背後から、聞こえてきた第一声は、

「○○さん(オーナーの名前)、値引きしませんか?」

続けて、

「今、クーポンがオススメですよ!」

はい、出ましたね、糞営業。

 

聞くところによると、
お店に、営業の電話がかかってきたのが、先週。
(しかも、店が最も忙しい時間帯に)。

その3日後(つまりこの日)に、
彼は初めて、この店にやってきたそう。

当然、この店のサービスを受けたこともなければ、
食事をとったこともない。

 

人口10,000人あたりに占める、
飲食店数日本ナンバーワンの沖縄県

その競争も熾烈で、新しいお店が出来ては、
残念ながら、消えていくお店もある。

那覇空港を始め、ホテル、コンビニ、
レンタカー屋などの各チャネルは、
『沖縄グルメ』と謳った、ゴミにしかならない
チラシや無料誌で溢れかえり、
飲食店紹介本も、増えるいっぽう。

グルメサイトも乱立し、
観光ガイドブックも、毎年、発行。
ご丁寧にも、季節ごとに、新刊が刷られている。

当然、各社は、新しい情報を求め、新店ができると
我先に!と、飛び込みセールスを行い、
他社と差別化するため、『うちだけの何かをくれ』と
クライアント側に要求してくる。

そして、ほしがるのが “最安値” の称号。

 

高いものが、素晴らしいと言うわけではない。
クーポン自体が、悪いと言っているわけでもない。
「お値段以上、○○ ♪」ならぬ、企業努力は必要。

ただ、大切なのは、
そのサービス・商品の価値に対して、如何に、
“適正な価格” でセールスすることに寄与できるか

だと思う。

それが、プロの腕の見せ所。

ましてや、そのサービスや商品を体験せずに、
盲目的に、安売りを助長するような媒体は、偽物。

その価値以下で、安く買うということは、
他の誰かの労働を軽視しているということ。
それは、ブラック企業の経営者と同じ発想。

 

そんな彼らが、言いがちなこと。

「この業界に貢献したい」
沖縄県を元気にしたい」


極め付けが、

「私たちは、プロ集団です」
「コンサルは、お任せください」

おいおい、寝言は、寝てから言いなさい、糞営業。

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お通しのこと。

お通し。

某ニュースサイトで、
『お通し』カットが可能かどうかを、
大手居酒屋チェーン数社に問い合わせてみた、
という記事が流れていた。

「お客様の希望があれば、対応します」
「アルコールを注文しない人に対しては、
   原則としてお通しの提供は行わない」
という、チェーンから、
「お通しカットには対応していません」
「食品アレルギーなどといった
    例外的な場合に限って、対応が可能」
と、答えたお店など、
未回答を含め、各社の対応は様々。

そもそも、“総合居酒屋”、というジャンル自体が、
業態として、もう難しくなってきているのでは?
いう結論で締めくくられていた。

都内では、『お通し』料金として、
べらぼうに高い金額を請求される
所謂、ボッタクリ居酒屋が問題となっているようで、
出張に出た際、タイムリーにも、
「こないだ酷い目にあってさ」
なんて話を、身近で目の当たりにした。
(まだ、客引きについて行く人いるんだね・・・)

沖縄県も、外国人観光客の急増に伴い、
この『お通し』が、
トラブルに発展するケースが増えてきているそう。

お冷は無料で提供。
サービス料金、チップ文化の乏しい日本。
片や、『お通し』文化のない外国の方に、
その必要性を説明する難しさ。
・・・何とも、悩ましいところである。


『お通し』は、関東の名称。
関西は、『突き出し』『先付』と呼ぶ。

厳密には、『突き出し』『先付』は、会席など、
予め、献立の中に組み込まれている料理を指す。

由来・語源は、諸説あるようだが、今や、
“酒の肴として、注文前に提供される軽いアテ”
として共通認識されている。

京都出身の私としては、『先付』とは、そのお店が、
「これからどんなモノを出してくれるのか?」
の実力を測る、序章みたいなもの。
『椀物』『向付』『焼物』と続き、
後半戦の『止め肴』『食事』、最後の『水物』で、
試合を終えるまでの先頭バッター的な存在。
『先付』が出てきた瞬間、
「さぁ、これから試合が始まるぞー!」
と、ワクワクするものであった。

その文化で育ったせいもあってか、
何も注文せずとも提供される、
『お通し』についても、
そのお店の技量がわかる一品として捉え、
「さて、どんなものが出てるのか?」
と、どこに行っても何気に楽しみにしている。

予想を超える美味い『お通し』が出てくると、
それだけで、「おぉ、今日は良い日だ」と、
テンションがアップし、
ついつい、あれも食いたいこれも食いたい
と、注文量が過剰になってしまいがちになる。
 

『お通し』は、席料としての側面もある一方、
お店側としては、お酒が出やすく、
売上にも貢献する、という効果があり、
そう簡単に、
「カットオッケーです!」と言えない状況にある。
そのため、
「頼んでないのに、勝手に出して、金取るって何?」
と、お客と揉めた、怒られたなんて話を、
ここ最近、よく耳にする。

それも外国観光客ではなく、我ら、日本人から。
若者だけではなく、老若男女問わず、だそう。
これも時代の流れなのか。
何とも、世知辛い世の中である。

直ぐに酒は出せるが、
料理が出るには、多少時間が掛かかる。
酒だけあっても、、、、、ね。
オーダーが提供されるまでのしばしの間、
ちょいと摘む、“肴” として、
「おぉ、こう来たか(こんなもんが出てきたか)」
と、楽しむことは出来ないんだろうか。
そんな話を聞くたびに、ひとり、そう思ってしまう。

「お通し文化、万歳!」
と、言うつもりはないが、
『お通し』がない店、カットできる店を探す手間。
「お通し、お断りできますか」店側と交渉する労力。
私が、ただオッサン化しただけなのか、
その時間が勿体無い。
自ら、行くお店の選択肢も狭めてしまう。

もちろん、
「これは、人間が食べても良いものですか?」
と、即座に質問したくなる
『お通し』に遭遇することもある。
その時は、その時で、そこに入ってしまった、
自分の目利きのなさを反省し、
「しっつれい、しましたー!」
と、そそくさと退散すれば良いだけの話。

酒と肴。
切っても切れない、一対なもの。
『お通し』に金を払いたくないほどの心意気なら、
外で酒を飲むなよ、と言いたい。
 

『お通し』議論は尽きない。

「さっさと、『お通し』止めませんか?」
と、ものすごい笑顔で、飛び込みセールスがあり、
「むしろ、値引きしませんか?」
「そして、クーポン出しませんか?」
「でもって、◯◯(グルメ本)に広告出しません?」
と、立て続けに安売り提案してくる糞営業に、
度肝を抜かれたよ

というオーナーさんの話は、また次回。

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バーガーのこと。

沖縄は、ハンバーガー大国。

先週金曜日、ニューヨーク発のチェーン
『Shake Shack』が、日本初上陸。
明治神宮外苑内に一号店オープンし、
長蛇の列が出来たニュースが巷を賑わしている。

チャンプルー、沖縄そばタコライス
こちらでお客さんをお迎えする際、
テッパンでリクエストが入るものの中に、
A&W(エイアンドダブリュ)』がある。

沖縄県民なら知らない人はいないであろう、
ローカルのハンバーガーショップ。
通称『エンダー』。
日本では、沖縄だけにしか店舗がない。

1963年にオープンした、
沖縄本島中部の屋宜原店が、
日本初のファストフード店とされている。

A&W』の発祥は、アメリカ。
名前の由来は、創業者の“Roy Allen” と
“Frank Wright” の頭文字をとって付けられたらしい。

ルートビア(店内イートインで飲み放題)、
カーリーフライ(くるくる巻きのポテト的なやつ)
ドライブイン(車まで配達、駐車しながら食べる)
が、有名。

那覇空港3階JAL側にもあるが、
街中の店舗とは価格が異なるので、
(空港価格。他店より高めの設定)
お時間のある方は、空港から最も近い
那覇金城店に行かれることをオススメしている。

そして、沖縄ローカルバーガーチェーンとして、
忘れてはならないのが、
ゴーヤーバーガー、ぬーやるバーガーを
販売する『Jef(ジェフ)』である。

ゴーヤーバーガーと言っても、そのまま、
あの物体をサンドしている訳ではなく、
ゴーヤーの卵とじ(ゴーヤー入りオムレツ)
を挟み込んだハンバーガー。
そのゴーヤーバーガーに、
ポークランチョンミートをを追加したものが、
ぬーやるバーガー。

ちなみに、店名の『Jef』とは、
“Japan Excellent Food” の意味らしい。

公式サイトによると、
ーーーーーーーーーーーーーー
素材も味も、Made in OKINAWA
素材は、常に鮮度にこだわり、 
ジューシーな牛豚合い挽きパティ 、
県産若鶏、産地直送の新鮮野菜と
優れた県産品を使用しています。
ーーーーーーーーーーーーーー
とのこと。

より沖縄感を感じられるのは、
A&W』より、『Jef』かもしれない。


ちなみに、私が、バーガーリクエストを受けた際、
お連れするのは、また別のお店。

滞在エリア、時間や曜日、天候、
家族連れか否かなどによっても変わるが、

Woody’s
CORPUS CHRISTI
ZOOTON’S
GORDIE’S
JETTA BURGER MARKET
Ishigakijima Kitchen Bin
Captain Kangaroo
ととらべべハンバーガー

などなど、沖縄には、名店がたくさん存在する。

A&W』『Jef』は、るるぶ or まっぷる片手に、
ぜひ、各自でお尋ねください。
(私が両店とも苦手なのは、ココだけの話)

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名刺のこと。

「素敵な会社ですね」
「これって、どういう意味ですか?」

名刺の裏面に、CREDOが記してある。

CREDOとは、「信条」「志」「約束」を、
意味するラテン語
企業活動の拠り所となる価値観や行動規範を
簡潔に表現した文言、
あるいはそれを記したツールを指すもの。

名刺交換した際、しばしば、それがキッカケで、
商談前のオープンニングトークに、
発展することがある。


沖縄へ来て6年。
最もご迷惑をお掛けしているだろう、
ある方の会社が、先日、創業10周年を迎えられた。

これもご縁。
たった4年ほどのお付き合いだが、
10年というタイミングに同席でき、
非常に楽しい時間を過ごすことが出来た。

私と同じ、沖縄移住組。
何のコネクションもない中、
自分の信念を貫き、波乱万丈、
とてつもなく濃い10年間を送ってこられた
(のだと思う)。

今では、沖縄県内に数店舗を展開されている。

その中のある店舗が、
オフィスの近くにお店があることもあり、
ちょこちょこお邪魔させていただいている。

荒削りながら、“スタッフ力” って、
こういうことなんだろうな、
と、思える若いメンバーが、いつも笑顔で迎えてくれ、
「野菜が食いたい」
「元気が出るもの」
「これから、◯名の席作れる?」
など、こちらの無茶オーダーにも、
いつも全力で応えてくれる。

先日、その店舗を任される、若き店長と、
“企業理念” 的な会話になった。

「この会社のMISSIONって何?」

店長
「MAKE YOUR HAPPINESS. IT'S OUR BUSINESS.」

即答である。

「おぉっ、なんで、それ覚えてんの?」

店長
「いや、あちこちに書いてるあるし」
「こないだの10周年の時も、社長が言ってた気が」

「その意味って、何だと思う?」

店長
「うぅーん、みんなを、幸せをすること」
「ってことですかね?合ってます?(笑)」

『何でそんな質問するの、このオッサン』
と、戸惑いながら、ハニカミながら、
そう、応えてくれた。

業種業態、提供する手段は違えど、
仕事をするって、
極論、そういうことかのかなと。

自分自身、複数社渡り歩いているが、
企業理念、CREDO、MISSIONを
覚えている会社は皆無である。

続く会社の真髄を垣間見た気がした。

うぅーむ、うちも、負けてられない。
月曜日から、また頑張らねば。

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心得のこと。

現在、26度。

喉カラカラっになるくらい、
濃い濃い濃い濃い出張を終え、昨夜の便で沖縄へ。

土曜から那覇入りしている後輩たちと合流し、
ひたすら、国道58号線を北上している。
天気はまずまず。まだまだ暑い。


“餃子漬け”

先週水曜から本社に入り、
沖縄ないないシリーズお馴染みの
餃子の王将』様からスタート。
今回は、東北新幹線に揺られ、
栃木支店のある聖地・宇都宮まで乗り込んできた。

“一生” ずっと同じ場所で、
ずっと同じ生活を、
“死ぬまで” ずっと同じ人たちと、
ずっと同じ関係で、
ずっと同じ仕事をし続けるのは、
ほんとに稀有なこと。

ご縁っていうのは、ほんと、面白い。
大阪・京都・三重・広島・福岡・福島・栃木。
「東京出身者、誰もいないじゃん」の中、
千代田区某所で、
あーでもない、こーでもない、
と、不夜城生活を送っていたメンバーが、
数年ぶりに大集合。

それぞれ6年前と担当・立場は変われど、
皆さん、変わらず、パワフル。
そして、よく喋る。
解散時には、声が枯れていた(笑)。

アラフォー世代のマストアイテム『お酢』
に加えて、宮崎県から取り寄せいただいた
『マキシマム』を小皿に投入し、
パリパリ、肉汁満載の羽根つき餃子を、みなで摘む。

「ここの餃子を食ってくれ!」

栃木支店に赴任されて2年目の先輩に
本来、予約不可のお店を、抑えていただき、
私史上、ナンバーワンの餃子にも巡り会えた。

環境への適応能力、現地への溶け込み方が、半端ない。

栃木土産までいだだき、
滞在16時間とは思えぬ、充実度。
「人を迎えるとは、どうあるべきか」
赴任者の心得を垣間見た気がする。

色々と反省。
沖縄で人をお迎えする上で、
非常に勉強になりました。
皆さま、ありがとうございました。

今日は、全力で、沖縄観光ガイドだな。

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猫のこと。

再び、東京。

「わー!」「きゃー!」「うぉー!」
毎度おなじみ、離陸時の大歓声・拍手喝采。
この時期、7割程の確率で、
修学旅行の学生さんと同じ便に乗り合わせる。
今回も然り。あぁ、初々しい。

私が、そういう星の下に生まれてきたのであろうか、
昔から、小さいお子さん連れのご家族、
または、母子お二人と隣席になることが多い。

「子供は泣くのが仕事、文句を言うのは筋違い」
「ギャーギャー喚く、子供を飛行機に乗せるな」

心が狭いだの、広いだの、大人げないなど、
飛行機の子供ネタになると、
だいたい、そんな論争になりがちだが、
正直、私は、どっち派でもない。

「いぇーい、貴重な睡眠タイム!」
でもなければ、
「さぁ、雲と空と夕陽の撮影タイム!」
でもなく、
着席と同時に、予め、機内でやるべし!
と、決めてきたタスクをこなすための
“作業モード” に集中してしまうからである。

そして、泣く泣かない以前に、
ほとんどの場合、フライト中、なぜか私は、
じっーーーーーーと、子供に観られてる。

時には、前列シートの隙間から、
時には、通路を挟んで、隣の席から、
時には、後方座席の上部から、

「へぇ、世の中に、こんなオッサンがいるんだ」

と、言わんばかりの、何とも言えない表情で、
ひたすら、じっーーーーーーーーと、
眺められているのである。

いつも視線を感じ、顔を向けると、
可愛らしい子供の顔が、目が。
たまに、手なんかも伸びてきて、さすがに、
これには、“ヒットラー” と社員に陰で呼ばれている
私でさえも、ついつい、ニヤニヤしてしまう。
(こんな姿、気持ち悪くて社員には見せられないが)


この『機内子供視線釘付け事案』
と、似たようなケースで、街を歩くと、
犬猫の視線を、わりと引き寄せている気がしている。

沖縄は、町中に、
猫(野良を含む)が溢れているのだが、
なぜが、私に、猫が寄ってくる。
ベンチに座って、スマホをいじっていたり、
人待ちしている時に、
「まいど、お待たせ!」と言わんばかりに、
ひょっこりと、膝の上に乗ってくる。

私がダイバーということもあり、
魚類の香りでも漂っているのだろうか?
(ここ最近、潜ってないけど)
もしかして、ケツに、グルクン(タカサゴ
でも挟まっているのではないか?
と、思わず、確認してしまうほどである。

先日も、犬猫を飼われている友人宅にお邪魔した際、
『家政婦は見た ©テレビ朝日
by 市原悦子バリの熱い視線を感じ、振り返ると、
友人夫妻の愛猫とバッチリ目があって、
たまらず、爆笑してしまった。

ちなみに、私は、自宅で動物は何も飼っていない。

残念ながら、飼育放棄による、捨て犬・捨て猫、
迷子、放し飼いなどの理由により、沖縄県では、
毎年、約5,000頭の犬猫が殺処分されているそう。

2005年度、2009年度は、全国最高頭数。
2011年度は、6,262匹と全国ワースト4位。
(08年度〜13年度の5年間で48%まで減少)
『殺処分』って言葉自体が、
何だか、酷い、悲しい響きだなと。


「◯日に、有給いただきます。猫の面接のため」
数ヶ月前、うちの若手社員(D君)が、
上記理由で、有給申請をしてきた。

「ん??猫の面接??」
てっきり、私の聞き間違いかと思い、
後日、詳細を聞いてみると、
動物可の賃貸物件へ引越しする際、
本人ではなく、
『動物と大家さんの面接が必須』
という、マンションだったらしい。

大家さんは、動物と会話できる!?そうで、
猫と1対1での面接。
同席はしたものの、
D君は、あくまでも、保護者として参加。
終始無言で終了。

「うちのマンションの方針に、合っている」
ということで、見事、合格。
無事に、入居可となったそう。

(以前の)自宅前に捨てられていた子猫を拾ったが、
動物不可の物件だったので、D君は、引っ越しを決意。
不動産屋を駆けずり回って見つけた場所が、
そこだった。

「たぶん、そのへんをアピールしてくれたんだと」
「猫語は、喋れませんが、そんな気が(笑)」

そう笑いながら話す、
D君を見て、何だか気持ちが、ホッコリした。
沖縄も、こんな人が増えれば良いな。

今度、その大家さんに逢いに行ってみよう、と思う。

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